豊後竹田の水利施設
Updated on 2015.5.14


 豊後竹田(たけた)市には、灌漑のための施設が数多くある。
 「白水堰堤」は、緒方町へ農業用水を安定的に供給するために作られたダムである。1938(昭和13)年竣工。設計者は小野安夫、重力式割石コンクリート形式のダムで、高さ14.1m、長さ87.26m、貯水量60万トン。国指定重要文化財。堰堤の近くに「歴史と文化を考える会」の説明板が立つ。
 
白水堰堤

 白水堰堤 白水池碑
農耕への熱い思いが実らせた白水堰堤と水利施設一構

主堰堤・副堰堤・(導水暗渠付)・斜樋
管理用階段・付白水池碑《昭和13年》一基
国指定重要文化財《平成十一年五月十三日》

 竹田市と緒方町を流れる富士緒井路の用水に使われるダムです。
形式 重力式割石コンクリートダム、高さ十四.一m、長さ八七.二六m、貯水量六〇〇、〇〇〇t 貯水面積一〇ha
設計・監督 小野安夫(県農業土木技師)平成五年九一歳で死亡
竣工 昭和十三年(一九三八)九月三十日
 昭和九年から四年半の歳月をかけて完成している。人々の田畑を潤そうとする、農耕への熱い思いがなければ決して完成をみなかったであろう。宮砥地区万田迫より取水して総延長十五kmの幹線水路をへて緒方町内の受益地に配水しています。安定した水を送るため、斜樋にある五つの蓋を、順番に開けることで調節できるようにしています。
 溜池の側壁は水圧で痛みやすいので、左岸は階段状の石壁を、右岸は円周上を曲線状の石組みで仕上げています。水が増えると左・右岸に沿って流れる水が、正面から流れ落ちる水の力を弱めるしくみになっています。一キロ下流にある取水口までの護岸にも役立っています。設計者と豊後石工の英知と苦労、それにもまして芸術性を取り込んだ美的センスには頭の下がる思いがします。専門科をして「わが国でもっとも美しいダムのひとつ」であると言わせています。
平成十二年十月
歴史と文化を考える会 

 
「若宮井路笹無田石拱橋」は、若宮井路が道路と笹無田川をまたぐ橋として建設された。若宮井路は、稲葉川から約20km離れた豊後大野市朝地町に農業用水を供給している。笹無田石拱橋は、1915(大正4)年に建設されたが翌年に壊れたため、1917(大正6)年に再建された。石拱橋はJR豊肥本線「豊後竹田駅」の大分寄りの車窓からも見ることができる(大分に向かう列車の左側)。橋長59.0m、橋脚スパン21.5mの2連アーチ橋。国登録有形文化財。
 
笹無田拱橋

 
「明正井路一号幹線一号橋(第一石拱橋)」は、明正井路が道路と緒方川をまたぐ橋として建設された。明正井路は、緒方川から豊後大野市緒方町と豊後大野市清川村に農業用水を供給する総延長175kmに及ぶ用水路である。第一石拱橋は、1919(大正8)年竣工、橋長78.0m、橋脚スパン10.7mの6連アーチ橋である。土木学会選奨土木遺産。

 第一石拱橋

 第一石拱橋(明正井路第一拱石橋 大正八年成の銘)

「音無井路十二号分水」は、3つの幹線水路へ平等に水を排水する施設として1934(昭和9)年に完成した。井路を通ってきた水はサイフォンにより円形水槽の中央に湧き出て、これを20ヶ所ある分水窓から決められた割合で分水するようになっている。
 
十二号分水

 音無井路の碑

■所在地
 ・白水堰堤:竹田市大字次倉
 ・若宮井路笹無田石拱橋:竹田市挟田
 ・明正井路第一石拱橋:竹田市大字門田
 ・音無井路十二号分水:竹田市大字九重野百木

■交通:JR豊後竹田駅下車、バス等の公共交通はない
     (私は、タクシーで巡回した)


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