丹那トンネル東側坑口 |
「熱海駅」で伊東線に乗り換え、走り出したと思ったらもう「来宮駅」である。レトロ風の駅舎をあとに、駅前の道路を右に、丘を一つ越えるように歩く。伊東線のトンネルを過ぎると、四つ辻があり、ここを右に折れる。しばらく行くと丹那神社が見える。ここまでゆっくり歩いて15分。線路の脇に降りる小道がある。ここからはトンネルが一番美しく見える。トンネルの真上に慰霊碑が建つ。訪れたのが夏だったため、坑門の上部はツタ状の植物で覆われ、扁額も数字もよく見えなかった。
この場所には、かつて熱海発電所があり、旅館街に電力を供給していたという。その記念碑がトンネルの説明板と併設されている。
蔦に覆われた2578と2594の数字
慰霊碑
慰霊碑 掲示されていた工事の写真
丹那(たんな)トンネルは、東海道本線の熱海駅〜函南駅間にある長さ7804mのトンネルで、1934(昭和9)年に開通した。
トンネル開通以前の東海道本線は国府津から御殿場を経由しており、急勾配のため国府津駅、沼津駅で登坂用の機関車を連結していた。このため、これらの駅に全列車が停車せざるを得ず、輸送上のネックとなっていた。
工事は1918年(大正7年)に着工したが、大量の湧水に悩まされ、1925(大正14)年の完成予定が大幅に遅れ、1934(昭和9)年の完成となるほどの難工事となった。この工事では総勢67名が犠牲となっている。丹那トンネル工事の犠牲者全67名の殉職碑が、鉄道省によって熱海側の坑門の真上に建立されている。
熱海側の坑門には、鉄道大臣内田信也揮毫の「丹那隧道」の扁額が中央に、左に2578、右に2594という数字がある。数字は着工と開通の年を皇紀で示したものである。
熱海水力発電所の碑
熱海水力発電所由来記 明治28年10月20日送電 日本で8番目の発電所 名称 熱海電燈株式会社 持主 国府津村 杉山仲次郎 場所 熱海町字谷戸685番地 出力 30馬力(22kW) 電圧 1千Vを百Vに変圧 電灯数 300灯(但し16燭光) 熱海の旅館、民家に送電した 平成6年4月吉日 熱海電気協議会 会長 内藤弘 |