田原本町の近代建築 2024.10.27 update |
水陸交通の要衝の地にあり、町の中心の田原本地区は中世に門前町として栄え、近世には教行寺の寺内町として発展した。江戸時代には参勤交代の陣屋町として栄え「大和の大坂」と呼ばれるほど商業が盛んとなった。1889(明治22)年、町村制施行の時に田原本町が発足した。
建物のタイトルのうしろにある番号と地図上の番号が対応している。
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■植山医院-(1)
近鉄田原本駅から徒歩で5分ほどのところ。建造年は1932年。
◎所在地:田原本町大川西120
■元奈良中央信用金庫魚町出張所-(2)
旧吉野銀行田原本支店。建造年は1933年。
◎所在地:田原本町魚町705
■田原本聖救主教会-(3)
ここには説明板があり、以下のように記されている。建造は1933年。
田原本やすらぎと歴史遺産巡礼(やすらぎと歴史遺産を訪ねて)
日本聖公会 田原本聖救主教会 礼拝堂
日本聖公会「聖なる(Holy)公同の(Catholic)教会(Church)」
日本聖公会は英国国教会系のプロテスタント(宗教改革)の精神を生かしつつ、カトリック(伝統的)の良い精神を受け継いでいる中道的な教会です。世界164ヶ国に7000万人の信徒を有しています。日本には明治初期にイギリス・アメリカ・カナダから伝道され、日本聖公会が結成されました。現在、全国を11教区、300教会、5500人の信徒を有します。教会以外の関連団体、施設としては以下のものが挙げられます。
学校:立教大学・聖路加看護大学・平安女学院・桃山学院・ブール学院など38校。
病院:聖路加国際病院等9施設、老人ホーム:11施設、社会福祉施設:18施設、幼稚園:119園、保育所36施設。
田原本聖救主教会の歴史 資料 田原本聖救主教会・浜屋憲夫
明治16年(1883) 田原本町・三浦新蔵宅で説明会を開く。田原本伝道の開始。
明治20年(1887) 聖救主教会の設立。設立者:東京監督マキム師・伝道師:田中宇喜智師、浮田フク師。
明治28年(1895) 最初の会堂の建築。伝道師:松島常松師、松本恒則師、中村師。
明治32年(1899) 伝道師:中村師以降、明治42年(1909)まで牧師無く、加藤操姉留守居。
大正3年(1914) 奈良より片山留次郎師着任。五ヶ月で和歌山に転任以後、町田師百済より出張。
大正4年(1915) 坂口亀太郎師着任。
大正5年(1916) 池園その師着任。
昭和8年(1933) 50年を経た、最初の会堂を廃し、現会堂の新築完成。教会聖別式をニコルス監督司式により執行。
(以下、略)
平成18年度 NO.9 田観35 田原本町観光協会 |
◎所在地:田原本町八幡町752
■名称不明木造住宅-(4)
木造2階建の住宅が歩いていると目に入った。詳細は不明。昭和初期の建造か?
◎所在地:田原本町市町617
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