天津ラジオ博物館(Tianjin Radio Museum)   update:2018/12/03
博物館ホール

 この天津ラジオ博物館(中国名は、天津収音機博物館:Tianjin Shouyinji Bowuguan)は1月9日に正式オープンし、520平米の広さを持つ。館内には天津市で製造されたラジオ300台以上と中国国内・海外のクラシックラジオ100台以上が展示されている。
 天津市にラジオ博物館が開設された理由は、天津市が大戦後ラジオ生産の一大拠点となり、中国の電子産業を牽引してきたためである。1946年、11の企業が集まり「中央電工器材廠天津分廠」を創設した。その後、民間企業の「無線電行」「合記無線電行」「真美無線電行」が次々と開業、天津はラジオ生産の一大拠点となっていった。この「行」とは商店という意味で、「電行」は電気会社ほどの意味である。1950年代の末には天津のラジオ生産は急速に発展し、「北京」「長城」「海河」「人民広播」などの国内ブランドが生まれた。1970年代には結婚時には「三転一响」ということがいわれたそうである。「三転」とは腕時計、自転車、ミシンを、「一响」とはラジオを指す。日本でいう「三種の神器」である。日本の場合、1950年代後半には白黒テレビ、洗濯機、冷蔵庫がいわれ、1960年代半ばにはカラーテレビ、クーラー、自動車の「3C」がいわれたことをご存じだろうか。

 天津ラジオ博物館は、天津市内の中央を流れる海河の東側、河東区津塘路にある。地下鉄9号線「十一経路」駅から徒歩15分ほどである。ここに「商茶叶城」という中国茶の販売店が集まっているビルがあり、この3階に博物館はある。C区のビルのケンタッキーの店の右の入口から入るとエスカレータがある。これで3F まで行けば、博物館は目の前にある。筆者がこの博物館を訪問した際には、ここの館長である王欣氏とその父親が迎えてくれ、付き添って詳しい展示品の説明をしてくれた。聞けばこのコレクションはラジオ技術者であった父親のもので、王氏はそれを引き継いで、この私的博物館をオープンしたのだそうだ。

 展示品を紹介したい。外国製のラジオには、ZENITH、Bulova、Grundig、SONY、松下、三洋などがある。また日本製のものだが天津製造のラジオもあった。また、スターリンが毛沢東に贈った「和平ブランドの152型ラジオ」や、日中国交正常化に尽力した李徳全氏に日本が贈ったラジオが目を引く。中国で最初に全国生産されたラジオや、新中国で最初に生産されたラジオなど貴重なものもある。天津生産のラジオが年代別に整然と並べられているのは見応えがある。一方、各コーナーには実物にふれることができる展示もあるが、すべて内部にレコーダーがセットされ、録音された音楽が鳴るようになっているのは残念である。今の若者はラジオに触れる機会がほとんどないのだから、実際にラジオのダイヤルを回して放送が自由に聞こえるようにすることが望ましいのではなかろうか。この他にラジカセ、蓄音機などもあった。テープレコーダの前身である金属ワイヤーに録音するタイプのテープレコーダもあり、これはなかなかの珍品といえる。

 
展示の様子


(右)中国で最初に生産されたラジオ、(左)新中国で最初に生産されたラジオ

スターリンが毛沢東に贈ったラジオ(そばに立つのは館長)


日本の名古屋市長小林橘川が中国紅十字会会長李徳全に贈ったラジオ(裏面に署名がある)

 
天津製造のラジオ
王氏の父親が使用していた測定器群とラジオ


東芝製のテスト・オシレータ

鉄線に録音するタイプの初期の録音機




■開館時間: 10:00~15:30 (筆者が訪問した時は、午後からの開館だった。)
■休館日: なし
■入館料: 無料
■交通: 185、28、621、806のバスで「十三経路」下車、すぐ
■住所: 天津市河東区津塘路23号~商茶叶城C区3層
■その他:Webページはない。リーフレットや展示品の紹介に関する書籍はない。撮影は可。
 

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