耶馬溪の石橋群 Updated on 2015.5.14 |
耶馬溪橋(オランダ橋) この橋は、山国川にかかる観光道路、生活道路として大正九年から十二年にかけて架橋されたもので、長崎県に多い石積方式であるため通称オランダ橋とも呼ばれている。架橋工事は、地元の岩渕万吉氏が請け負い、地元の石工、石材を使用し架橋された。その工事に要した費用は曽木地区の村山二十一人の共有林を売却しそれに当てたもので、その額は四万円と言われている。現在、我が国にはこれだけの規模の石橋はなく、八連、橋長一一六メートルは共に日本一である。永い間風水害に耐えてきたこの橋であるが、昭和一九年の大洪水で大きな被害を受け橋面の高欄等が流失し、コンクリートにおいて復旧されていた。しかし、数年前より橋体にひび割れ等が判明し、通行上非常に危険な状態であったため平成十年から十一年にかけて当時の写真等を参考に補強、修復されたものである。 (橋歴) 一、大正九年十一月着工 同十二年三月竣工 一、昭和十九年の水害で橋面が流失したがその後直ちに復旧する。 一、昭和五十六年三月県指定の有形文化財となる。 一、平成十年二月 補強修復工事着工 一、同十一年三月竣工 本耶馬溪町 |
羅漢寺橋 この橋は、大正三年一二月「耶馬溪鉄道」が柿坂まで開通し、この時羅漢寺駅が開設された。 これに伴い交通・経済・文化・観光の発展を期待して架設された。 (橋梁概要) 一、石造り三連アーチ、橋長九一メートル 径間長、二六.八メートル 幅員三.八メートル (橋歴) 一、大正六年三月着工、同九年九月竣工 設計監督 黒葛原喜蔵、永松昇 現場監督 仲福太郎 請負者 岩渕万吉 石工 松田新之助、鳥越七朗 仲幸蔵、その他近在より加わる。 総工事費 二万円 一、平成三年三月 大分県有形文化財に指定 一、平成十五年十一月 補強修復工事着工 平成十六年九月 竣工 請負者 ピーエム工業株式会社 総工事費 一億五百万円 管理者 本耶馬溪町 |
馬溪橋 往時日田代官道(戸原側)と中津藩道(平田側)の往来は、夏は渡し舟、秋冬春は仮橋が架けられていた。しかし、仮橋は山国川の増水のたびに流されその都度、両岸の住民の出夫で修復されていた。 大正三年この橋より十二m下手に下城井橋が架けられたが、これも大正十一年四月の大洪水で流失。 そこで、約十二m上流に現在の眼鏡橋に架け替え橋名を馬溪橋と変更し現在に至る。 山国川に係る石積アーチ式の橋の仲で三大名橋のひとつに数えられ、貴重な橋である。 (平成元年五月一日指定 有形文化財) なお、馬溪橋上から見る向かいの平らな山は史跡として指定されている平田城址(白米(まつたけ)城址)で黒田騒動で福岡藩五十二万石を支えた筆頭家老栗山大膳が生まれ育った城として有名である。が、城としての遺構は残っていない。春は桜・秋は紅葉の名所として住民の憩いの場となっている。 中津市教育委員会 |
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