旧八百津発電所資料館 |
JR美濃太田駅から資料館に向かうバスは少なく、土日祝日の午前は8時40分と11時05分の2本だけである。このバスで、「八百津町ファミリーセンター前」で下車する。およそ30分ちょっとで到着する。ここから「久田見」行きのバスに接続があるが、時間によってはない場合もある。接続バスで「諸田」下車。5分ほど歩けば資料館である。私は接続バスのあることを知らず、八百津町ファミリーセンターから資料館まで歩いた。約30分の行程である。
旧八百津発電所について、案内板には次のように記されている。
旧八百津発電所資料館 明治44年(1911)、火力から水力へと発電の主力が移る中、木曽川水系最初の本格的発電所として建設された八百津発電所。その水力は7500キロワットを誇り、当時としては我が国有数の発電所として、明治・大正・昭和の三代にかけて、日本の近代化への道のりを支えてきました。 しかし、昭和29年に丸山ダムの竣工により主力を丸山発電所に譲り、昭和46年には新丸山発電所も完成したことから同49年(1974)に閉鎖となり、63年に渡る発電の歴史に終止符を打ちました。 ただ、この発電所の設計施工の水準は決して高い物ではなく、発電所の立地や機器の選定を誤ったために、難工事の連続であったり水車の破裂事故を招いたりして、大幅な歳月と建設費の増を余儀なくされました。 しかし、これらの困難を解決することによって、外国技術の九州と改良が行われ、国産技術の向上、自立への基礎が固められました。 また、大正6年(1917)には本発電所の放水を再利用した放水口発電所が完成。この発電施設とその技術が、他には類例のないものであることが八百津発電所の大きな特徴であり、我が国の自立期の技術水準と欧米との格差を示す例として貴重な施設となっています。 その後、技術者たちの熱意とたゆまぬ努力の結果、日本の技術は、ほぼ完全に外国製品を駆逐するまでになりました。こうした意味でもこの発電所は、日本を代表する歴史的な遺産であるといえます。 平成10年(1998)には日本の産業発展の位置役を担った貴重な産業遺産として、国の重要文化財に指定されました。 |
資料館に入ると、そのままの状態で残された発電機にまず圧倒される。発電機は、アメリカ・GE社製、水車は日本・電業社製のフランシス水車で、柵などもないので、じっくり間近で見ることが可能だ。建物内には、発電所として使用された母線の碍子や変圧器なども見ることができる。資料館内には、遺跡出土品や民芸具、道具など地域の産業や暮らしがわかる資料の展示もある。建物を出ると、すぐそばに放水口発電所の建物と赤く塗られた水車がある。道をあがると、かつて水圧鉄管が通っていた跡や、貯水槽などをみることができる。案内板には次のような記述がある。
放水口発電所 電力需要が増加した大正6年(1917)に、本館発電所の放水を再利用して発電するために作られました。本館発電所は、洪水時の水位上昇を考慮して放水口水位に河水面から7メートルの余裕を持たせてあったことから、その落差を有効に利用するため、放水口にこの小発電所が設けられました。日本に新型水車開発能力の無かった当時、中央の発電機(正面建物内)の左右にそれぞれ既存の露出型フランシス水車を2台ずつ錬成し、計4台の水車で発電するという極めて独創的なものでした。既存技術を導入改良して限界まで高度に利用するという貴重な産業遺産であり、現存している類例がありません。日立製作所製の初期の製品で最大6200キロワットを発電しました。 |
通常、産業遺産の施設が資料館などになると、大幅に改修され、当時の様子が保存されにくい中、ここ旧八百津発電所資料館は、昔のままの状態がよく保存されており、水力発電の学習にとってたいへんよい実物資料となっている。願わくば、交通の便をもう少し解消していただけるとよいのだが。
発電機と水車 発電機回転子
水車
水車の流量を調整する装置
遮断機 変圧器
放水口発電所の建物
放水口発電機 露出型双輪水車
放水口発電所建物と内部
放水口 水圧鉄管の撤去跡
◆開館時間:9:00〜16:00(入場は15:30) (1月〜3月の開館時間は10:00〜)
◆入館料:一般320円、小中学生110円 ◆所在地:〒505-0301岐阜県加茂郡八百津町八百津1770-1 ◆交通:JR美濃太田駅下車、東鉄バス八百津線乗車、約30分で「八百津町ファミリーセンター」下車、「久田見」行きバスに乗り換え、「諸田」下車、徒歩5分 ◆連絡:電話0574-43-3687 ◆Web:http://www.town.yaotsu.lg.jp/
(八百津町教育委員会HP) |