高野水力発電所跡
2015.10.22update


 比叡山への登り口である「ケーブル八瀬駅」右手の道を登っていくと、左手にラジオ塔が見えてくる。ラジオ塔はラジオがまだ高価で個人で所有が難しい時代に公衆用聴取装置として普及したもので、1939(昭和14)年に建設されたものである。塔表面に残るJOORはNHK第一京都放送局のコールサインである。ラジオ塔を過ぎてまもなく高野水力発電所跡がある。水路や水門、導水管などが残る。

 日清戦争後、京都では電灯の需要の増大により電力の不足が生じたため、京都電燈(株)は高野水力発電所の建設を決定し、1899(明治32)年3月高野川の水利権を譲り受け、同年6月着工、1900(明治33)年5月に竣工した。この発電所は、出力180kWで、水車はアメリカン・タービン、速度調整器はスプレーグ式を用い、当時としては新しい誘導型交流発電機が設置された。
 当時は送電は三相式、配電は二相式であり、高野発電所からは三相3500Vの電気を堀川発電所(中立売堀川)に送り、ここで二相2200Vに変換して、市内各所に配電していた。[『京都電燈株式会社五十年史』より]

発電所跡の地には、以下のような説明板が設置されている。

高野水力発電所跡
 明治21(1888)年創立の電力会社「京都電燈」は明治24年(1891)年に、日本初の一般営業用水力発電所として「蹴上発電所」を開業させ、明治33(1900)年に、この高野水力発電所を完成させました。「京都電燈」の電気事業は、日本初の路面電車(京都電気鉄道)を走らせるなど、京都市の産業振興に大きく貢献することになりました。この高野発電所は、昭和41(1966)年に閉鎖されましたが、高野川から取水するための水門や水路の跡が現在も残っており、京都近代化の貴重な遺構となっています。 



水門 導水管

溢水溝 水路

排水口

おまけ【ラジオ塔】

高野水力発電所跡

◆場所:京都市左京区上高野東山

◆交通:叡山電鉄「八瀬比叡山口駅」より徒歩5分
     または京都駅より大原行きバスで「八瀬駅前」下車徒歩5分




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