横利根閘門
2015.8.16update

 江戸時代、江戸へ大量の荷を運べる舟運は重要な運搬手段でした。鹿島灘や房総沖は海が荒れている時は危険であったため、内陸の河川や湖をつなぐルートが考えられ、特に横利根川は北浦や霞ヶ浦から利根川、江戸川へとつながる重要なルートでした。
 横利根閘門は完成後から1935(昭和10)年頃までは年間5万隻もの船舶が航行していましたが、鉄道、トラック等の陸上交通の発達によって衰退しました。
 
利根川側

 門扉部

初期の巻揚機械 防舷材

 閘門のそばにある掲示板には次のような説明があります。
横利根閘門
 横利根閘門は大正3年(1914)から約7年の大工事の末、対象10年(1921)に完成したわが国最大級の規模を持つ煉瓦造複閘式閘門で、利根川の明治改修事業で唯一現存するシンボル的存在です。
 横利根閘門は利根川が増水したときに、洪水が霞ヶ浦に逆流しないように、また増水時でも船舶の航行が可能なように当時の最新技術を用い日本人技術者のみによって建設されたもので、約80年経った現在でも利用されている現役の閘門です。
 完成以来大きな改築がなかったために施設の老朽化が進んでいましたが、平成6年に省力化のための自動化と門扉等の腐食が進んでいる部分について当時の設計図通りに復元改築されました。
 横利根川(*ママ)閘門の設計及び施工の水準は高く、我が国における煉瓦造閘門の一つの到達点を示す近代化遺産としての価値により平成12年5月、重要文化財に指定されました。

国土交通省関東地方整備局利根川下流河川事務所

閘門の構造
 横利根閘門は合掌扉複閘式として大小8枚の鋼製門扉を備え、閘門の有効長300尺(90.0m)、幅員36尺(10.9m)、閾高(閘門の深さ)約8.6尺(2.6m)で、当時通行していた船舶の中で最大級であった「通運丸」や「銚子丸」などの大きさを基に設計されました。
 その構造は、前後の閘頭部(閘扉室)と中間の閘室との三つに区分されています。閘扉室の側壁は垂直でコンクリート造り、表面を煉瓦及び石張りとし、出隅入隅部、階段、船舶の接触しやすい部分、戸当たり部分などは花崗岩を用いた凝った意匠となっています。閘室の両側は底部をコンクリートブロック敷き、側壁は1:1勾配のコンクリートブロック積みで船舶の接触に備えた木製の防舷材が組まれています。
 鋼製門扉は閘扉室の利根川側に大門扉、横利根川側に小門扉を配置し、利根川の水位が高い場合は大門扉を使用し、横利根川の水位が高い場合は小門扉を使用します。 

横利根閘門

◆所在地:茨城県稲敷市西代
      (横利根閘門ふれあい公園内にあり、随時見学可)

◆交通:JR成田線「佐原駅」下車、徒歩約40分


戻る

HOMEに戻る