依佐美送信所記念館 |
記念館と鉄塔
1.依佐美送信所の沿革
20世紀の初頭、欧米列強の間で無線通信が広まる中で、日本でも無線通信を導入しようという気運が高まり、1925(大正14)年、「日本無線電信株式会社」が設立され、逓信省から、当時の愛知県碧海郡依佐美村に500kW以上の送信所を設け、三重県三重郡海藏村に受信所を設けることが
命令された。
送信所と受信所の間は名古屋郵便局がとりもち、陸線を設置することとなった。依佐美送信所はテレフンケン社と契約を結び、長波用のアンダーソン式高周波発電機600kW/17442Hzを現用、予備各1台、250m高のアンテナ塔8基を設置、海藏村受信所には、長波受信機4台と受信アンテナを設置した。完成したのは1929(昭和4)年3月であった。建設費は当時のお金で750万円となっている。
当時の送信施設写真(記念館に掲示されているもの)
依佐美送信所の名前を有名にしたのは、太平洋戦争初期の真珠湾攻撃において「ニイタカヤマノボレ」の指令暗号を送信したことによる。
戦後は米軍が施設を接収し、1952(昭和27)年からは在日米軍が無線施設の使用を開始する。日本に施設が返還されたのはつい最近の1994(平成6)年のことである。1997(平成9)年には鉄塔が撤去され、2006(平成18)年に本館や送信局舎が解体された。
(*参考)『依佐美送信所調査報告書』依佐美送信所調査団、中部産業遺産研究会,1999
2.依佐美送信所記念館
フローラルガーデンよさみ 局舎を模した建物
2006(平成18)年に解体された「送信所の産業遺産としての価値を評価し、長波用送信装置および関係資料を保存し後生に伝えていくことを目的」として記念館が設立された。記念館は、「フローラルガーデンよさみ」内にある。
花の咲く公園内は、家族連れが多いが、記念館を見学する人は少ない。25mに切り取られてしまったアンテナ鉄塔が無惨であるが、それでもこれだけの施設が残せたのは関係者の努力によるものだろう。
当時の長波送信は、高周波発電機(1360rpmのとき、5814Hz、500kWを発生)を使って行われており、これを回すための直流電動機や電動機の励磁のための発電機など発電所に似た設備となっている。
アンテナ下部
送風機操作盤 主直流機励磁用電動発電機操作盤
主直流機励磁用電動発電機 水抵抗器
主誘導電動機と主直流発電機 高周波発電機
高周波発電機と直流電動機 高周波発電機の銘板
トリプラー(周波数を3倍にする) トリプラー磁化用電動発電機操作盤
また、発生した長波の電波を送信アンテナまで送るためのマッチング装置やコイル類、コンデンサ類は長波の波長にあわせて巨大なものとなっている。
高周波チョークコイル バリオメータ形高周波コイル
ローディングコイル
共振用コンデンサ(0.1μF) 貫通碍子