広島市の近代建築・産業遺産 2022.10.16 | |||
広島市は1945年8月6日の原子爆弾投下により、多くの人命とともに建造物も破壊された。しかし、その中でも近代建築と称されるものは残っている。今回、これらの建造物について見てまわった。ほとんどの建造物が修繕されたものであったり、一部を保存しているものであったりする。共通しているのは、これらはほぼすべて被爆建造物であるということだ。いくつかの建造物には、当時の痕跡が残る。資料収集にあたっては、広島市の被爆建物リストが参考になった。番号は、私が見学した順番で、意味はない。 (撮影は、2022年10月) 西広島駅周辺[1]己斐調整場送水ポンプ室JR西広島駅を下車し、JRの線路に沿って広島方面に進むと、線路をくぐる人道がある。これを抜けるとポンプ室が見える。金網越しにしか見られないのが残念である。建造は1932(昭和7)年。己斐は「こい」と読む。己斐調整場は、牛田水源地から送られてくる上水を一度高台に汲み上げて水圧をかける役割を持つ。現在は使われていない。◎所在地:広島市西区己斐東1-9-2 [2]旧日本麻紡績給水塔現在は己斐ガーデンスクエアの中にある。ここは園芸用品や植物を販売しているところで、給水塔は売り場の奥にある。建造は1919(大正8)年。日本麻紡績は、大正8年(1919年)に己斐町で創業し、山陽本線沿線の敷地に多くの平屋建ての工場や倉庫があった。◎所在地:広島市西区己斐本町3-12-15 江波周辺[3]旧広島地方気象台(広島市江波山気象館)広電の「江波」駅から南へ10分ほど歩くと、道路の左側の山手に建物が見えてくる。小高い丘の上にあるので、登りの階段が少々きつい。旧広島地方気象台は、1934(昭和9)年に広島県立広島測候所として建設され、1939(昭和14)年に国営に移管した。建物は鉄筋コンクリート造2階建で、2000(平成12)年7月に広島市の重要文化財に指定された。1992(平成4)年、江波山気象館として開館。館内には、科学の不思議体験コーナーや気象体験コーナー、豪雨・暴風疑似体験などのほか、原子爆弾被爆当時の資料展示などがされている。屋上にあがると広島市内を一望できる。 休館は月曜日(祝日の場合は翌日)。開館は9時~5時。入館料は100円。 屋上 館内 ◎所在地:広島市中区江波南1-40-1 広島市中心部[4]旧広島中央電話局西分局(NTT広島西営業所)1937(昭和12)年竣工。説明板には、爆心地から約1kmの位置にあり、交換機や電気設備に相当の被害がでたとある。現在、建物表面がタイル地で修復されているため、古い建物には見えない。説明板にあった被爆直後の写真をみると、窓の配置などから同じ建物であることがわかる。説明板にあった被爆直後の写真 ◎所在地:広島市中区西十日町10-1 [14]日本銀行広島支店1905(明治38)年に水主町に開設された日本銀行広島出張所を、業務拡大に伴い1936年(昭和11年)9月にこの地に移転した。1992年(平成4年)3月中区基町に移転するまで使用された。2000年(平成12年)7月に市の指定重要文化財に指定された。訪問時は工事中のため、中には入れなかった。◎所在地:広島市中区袋町5-16 [15]旧袋町国民学校(袋町小学校平和資料館)原爆投下により木造の校舎は全壊全焼しt、1937(昭和12)年に建造された鉄筋コンクリート造の西校舎の外形のみが残った。この西校舎の一部分を改修し、2002(平成14)年に資料館として開館した。◎所在地:広島市中区袋町6-36 [16]旧帝国銀行広島支店(広島アンデルセン)1925(大正14)年に三井銀行広島支店として建造され、1943(昭和18)年第一銀行と合併し、帝国銀行広島支店となる。被爆後の1950(昭和25)年に帝国銀行はこの場所に戻り、その後1967(昭和42)年に広島アンデルセンが買収、2020(令和2)年には新しい店舗となった。被爆当時の建物については、外壁の一部を切り取り、新店舗に使用されている。◎所在地:広島市中区本通7-1 [17]旧広島県産業奨励館(原爆ドーム)広島県物産陳列館は、1915(大正4)年、広島県物産品の販売促進を図る拠点として造られた。その後、広島県立商品陳列所、広島県産業奨励館と改称、1944(昭和19)年3月には産業奨励館としての業務が廃止され、内務省中国四国土木出張所や広島県地方木材・日本木材広島支社などの統制会社の事務所として使用されていた。原子爆弾はこの真上で爆発したため、壁面が残っている。1966(昭和41)年に永久保存が決まる。また、1996(平成8)年12月には世界遺産に登録された。◎所在地:広島市中区大手町 [18]旧大正屋呉服店(平和記念公園レストハウス)この建物は1929(昭和4)年に大正屋呉服店として建造された。戦争激化に伴う経済統制により、1944(昭和19)年に県燃料配給統制組合によって買収され、燃料会館となった。原爆投下時、爆心地から170mの地にあったこの建物は破壊され、たまたま地下室にいた1人を除いて全員が亡くなった。1982(昭和57)年からレストハウスとなった。◎所在地:広島市中区中島町1 [19]本川橋本川橋は、1897(明治30)年に鋼トラス橋に永久橋化されたが、原子爆弾により破壊され、同年の枕崎台風、阿久根台風により完全に落橋した。現在の橋は1949年に再架橋されたものである。現在の橋の鋼製の桁は旧光海軍工廠の廃材を再利用したとされる。1949年架橋時の銘板 ◎所在地:広島市中区中島町1 [20]旧本川国民学校(本川小学校平和資料館)本川小学校の校舎は、1928(昭和3)年7月に完成した広島市内で最初の鉄筋校舎であった。爆心地に最も近い学校(約410m)のため大きな被害を受け、四百余名の教員、生徒中、教員1人、生徒1人のみが奇跡的に助かった。中沢啓治著『はだしのゲン』に登場する学校でもある。◎所在地:広島市中区本川町1-5-39 [23]猿猴橋猿猴橋は、1926(大正15)年3月竣工。総花崗岩造りの高欄や巨大な親柱・束柱も備わる豪華な装飾で、親柱上に施されたブロンズ製の大鷹や2匹の猿が桃を持ちあう透彫り風のデザインパネルも施された。原爆で被爆したが幸いにも原形をとどめた。2016(平成28)年には、四隅の親柱に設置された地球儀をつかんで羽ばたく大鷹の像と、欄干の桃を掲げる2匹の猿の装飾など往時の装飾が復元された。◎所在地:広島市南区猿猴橋町 [25]福屋百貨店福屋百貨店本店は、1929年(昭和4年)8月に開業した福屋が、1938年(昭和13年)に現在地に新店舗として開館した。竣工当時は鉄骨鉄筋コンクリート造、地上8階地下2階の建物であった。戦争が激しくなると陸軍に接収され、戦後は一部がGHQにより接収された。1950年に接収が解除となり、1953年に元の営業に戻った。◎所在地:広島市中区胡町6-26 [32]広島大本営跡広島城内に残る広島大本営の礎石である。説明板には以下のような記述がある。
(この2枚のみ2007年の撮影) ◎所在地:広島市中区基町(広島城内) 広島市南東部[6]旧陸軍糧秣支廠缶詰工場(広島市郷土資料館) [7]同煙突竣工は1911(明治44)年。缶詰工場だった建物を改修して、郷土資料館として使用している。建物裏には、当時の缶詰工場の煙突の基底部が残っている。建物の前にある説明板には以下のように記されている。
煙突 ◎所在地:広島市南区宇品御幸2-6-20 [8]旧旧制広島高等学校講堂(広島大学附属中高学校講堂)竣工は1927(昭和2)年。鉄筋コンクリート造。木造校舎にはさまれて建っていたことから、原爆投下時には大きな被害を免れた。◎所在地:広島市南区翠1-1-1 [9]旧広島陸軍被服支廠倉庫1905年(明治38年)4月陸軍被服廠広島出張所として開設され、同年12月に現在地に工場が建設された。創設当時は、東京・大阪・広島の3ヶ所のみが存在した。主に軍服や軍靴の製造を行っていた。現存する倉庫は1913(大正2)年に建てられたもので4棟が残る。国内最古級の鉄筋コンクリート造建造物である。旧10番庫西側 旧10番庫東側 旧11番庫西南側 旧11番庫東側 旧11番庫西側 爆風による鉄扉の曲がり 旧12番庫南側 旧13番庫南側 ◎所在地:広島市南区出汐2-4-60 [10]旧第五師団陸軍兵器補給廠(広島大学医学部資料館)竣工は1909(明治42)年。元の建物は病棟建設のために取り壊され、当時の建物の石材や一部のレンガを利用して、復元建造されたものである。説明板には以下のように記されている。
◎所在地:広島市南区霞1-2-3 [11]旧日清戦争凱旋碑(平和塔)竣工は1896(明治29)年。高さ16m、頂部に金鵄(きんし)の像がある。側面に「平和塔」の文字がある。設立時は凱旋碑とあったが、1947(昭和22)年に平和塔に修正された。◎所在地:広島市南区皆実町6 [12]旧広島電気軌道火力発電所(広島電鉄千田町変電所・事務所)1912年(大正元年)に広島電気軌道が開業する際に火力発電所として建設された。最初の写真左側の建物が旧ボイラー室(現在は事務所として使用)、、右側の建物が旧発電機室(現在は変電所として使用)である。1934(昭和9)年になると、発電所の機能は停止し、変電所として使われた。被爆時には室内を焼失したが倒壊は免れた。1958(昭和33)年に補修工事が行われた。◎所在地:広島市中区東千田町2-9 [13]旧広島文理科大学本館(広島大学理学部1号館)1931(昭和6)年に広島文理科大学の本館として竣工。鉄筋コンクリート造3階建。原爆により被爆したが倒壊は免れた。戦後広島大学に移管し、1991(平成3)年に同大理学部が移転するまで使用された。現在は東千田公園の中にあり、使用されていない。◎所在地:広島市中区千田町2-1-34 白島周辺[28]工兵橋白島町北端にあった陸軍工兵第5連隊と京橋川の北岸にあった牛田演習場の連絡橋として、1889(明治22)年に架橋された。この木橋は1919(大正8)年7月の洪水で落橋、1921(大正10)年に現在の形の吊橋となる。その後1933(昭和8)年の架け替え1954(昭和29)年の架け替えを経て現在に至る。◎所在地:広島市東区牛田本町(中区白島北町) [29]牛田水源地送水ポンプ室・量水室・緩速濾過井上屋(広島市水道資料館)1898(明治31)年に広島軍用水道が整備された時に建設された市内最古の浄水場である。1985(昭和60)年7月に水道資料館として開館した。資料館の建物は、1924(大正13)年建造の牛田配水池への送水ポンプ室であり、別館は、1898(明治31年建造の量水室である。また、資料館までの道には、1898(明治31)年に設置されたろ過調整池と、1924(大正13)年に設置された上屋がある。水道資料館の展示についてはこちら。旧送水ポンプ室 旧量水室 旧緩速濾過井上屋 ◎所在地:広島市東区牛田新町1-8-1 |
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