釜石の鉄の遺産 |
2018.9.11Update
1857(安政4)年、大島高任が洋式高炉を釜石の地に建設し、銑鉄の製造に成功したことから、釜石は近代製鉄発祥の地と呼ばれています。その後、明治政府はお雇い外国人ビヤンヒーの建設案にもとづき官営製鉄所を建設しますが、わずか5年で民間に払い下げられます。製鉄所は東京の鉄商社の田中長兵衛でした。田中は地元の高橋亦助、村井源兵衛を雇い、製鉄所の再開にむけ動きました。そして1886(明治19)年10月16日、ようやく連続出銑に成功します。田中製鉄所は、鉄の品質向上と生産品種の拡大に取り組み、1903(明治36)年には民間初の銑鋼一貫製鉄所となりました。田中製鉄所は、その後三井鉱山、釜石鉱山と経営が変わり、1934(昭和9)年、日本製鉄が発足、富士製鉄の時代を経て、新日本製鉄となり、現在に至っています。
釜石には多くの製鉄に関する産業遺産が数多く残されています。適当な公共交通機関がない場所もあり、自家用車が必要です。
橋野高炉跡が世界遺産に登録されたことから、橋野高炉跡へは土日祝日限定ですが、岩手旅行社のバスが釜石駅から出ています。
(3)砂子渡高炉跡(未訪問)
(5)佐比内高炉跡(未訪問)
NEW(6)橋野高炉跡
(7)栗橋分工場跡(未訪問)
(8)栗林高炉跡(未訪問)
『鉄のふるさと』釜石商工会議所発行パンフレットより作製
五の橋(釜石製鐵所西側)
大島高任像(駅前) 三の橋(製鐵所東側)
現在の釜石製鐵所 三陸鉄道橋梁
製鐵所南桟橋
(4)釜石鉱山と大橋高炉跡
陸中大橋駅鉱石ホッパー
釜石鉱山
工場跡 運搬軌道跡
坑道入口跡 展示室(旧鉱山事務所)
大橋高炉跡/石碑は大島高任父子顕彰碑
横にある石碑には次のように書かれてある。
史蹟釜石鉄山大橋高炉跡 此処は日本近代製鉄発祥の地である。大橋山一帯は磁鉄鉱と黄銅鉱を主とする鉱石が豊富に埋蔵されている。これが享保12年(1727)公儀御薬草御用阿部友之進によって発見された。これを起因に、安政3年11月、大島高任は貫洞瀬左衛門とともに高炉築立を藩に願い出て許可をうけ、翌年苦心のすえ一座が完成。安政4年(1857)12月1日、歴史的洋式高炉の出銑に成功した。後、慶応年間迄に大橋に三座の高炉が構築されている。 現在12月1日を「鉄の記念日」と定められている。 昭和58年10月 釜石市教育委員会 |
旧鉱山事務所は現在展示室として活用されている。この建物は2007年まで鉱山事務所として使用されていました。
1951年12月25日竣工。館内は、1階では昭和30年代の事務所を再現。2階には、釜石鉱山学園に関する資料、鉱物室、付属病院や社宅に関する資料、採掘等に関する資料、電話交換機の展示などがある。
(6)橋野高炉跡
1858年に大橋に建設した高炉で鉄の出銑に成功した大島高任は、橋野村青ノ木に洋式高炉を建設し操業に成功した。橋野高炉は最初に建設された仮高炉を三番高炉、その後建設された高炉を一番高炉、二番高炉と称する。明治の最盛期には従業員1000人が働き、年間25万貫(約930t)の生産量を誇った。1871年に一番・二番高炉が廃止、1894年に生産が停止となった。1957年、国指定史跡となり、2015年に世界遺産に登録された。橋野高炉は現存する最古の高炉跡である。
高炉跡には、インフォメーションセンターがあり、ここで資料等を入手し、見学するとよい。一番高炉、二番高炉、三番高炉の他に、水路跡、山神社、石切場等を見ることができる。
一番高炉跡 二番高炉跡
三番高炉跡 水路跡
種砕水車場跡 山神碑と鳥居
国指定史跡の碑 日本最古溶鉱炉記念碑
【所在地】 ◆五の橋 : 釜石市岩井町 (釜石駅より西へ徒歩15分)
◆南桟橋 : 釜石市只越町1丁目 ◆釜石鉱山と大橋高炉跡 : 釜石市甲子町 |