>京都の産業遺産へ >琵琶湖疏水へ >HOMEへ Update:2007/04/15
陸上自衛隊宇治駐屯地(旧陸軍火薬製造所)
宇治に4番目の火薬製造所の設置が決定されたのは、1894(明治27)年9月のことで、板橋、岩鼻、目黒に次ぐものだった。正式名称「東京第二陸軍造幣廠宇治製造所」が仮運転を開始したのは1894(明治27)年11月のことで、1896(明治29)年4月には火薬製造所の開所式を迎える。太平洋戦争中も火薬の製造は続き、終戦をもってその役割を終えた。終戦当時は4700人の従業員が働いていた。
火薬製造所の施設は、京都大学宇治キャンパスと陸上自衛隊宇治駐屯地にまたがって存在する。また、JR黄檗駅を挟んで万福寺の南側に火薬庫があった。現在の桃山南団地、桃山南小学校付近に分工場があった。自衛隊宇治駐屯地への立ち入りは通常はできないが、年に1回(土日の2日間)「桜祭り」と称して市民に開放している。今回は、この機会をとらえて、施設を見学してきた。
【彰史館展望塔:1895(明治28)年】
入口 内部
内部 最上階は展望台になっている
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【彰史館】
展示品:96式陸上攻撃機のプロペラ(大東亜戦争宣戦記念とある)
展示品:陸軍火薬製造所時代の鬼瓦
展示品:大阪砲兵工廠の管轄下にあった頃の制水弁
◆所在地:京都市左京区蓮華蔵町 ◆交通:京阪電車「丸太町駅」下車、徒歩10分 |