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update:2018/11/4
【第一期蹴上発電所】
第一期の建物(関西電力のパンフレットより引用)
蹴上発電所は、日本最初の商用発電所で、琵琶湖疏水の水を利用して水力発電を行った。1890(明治23)年1月に工事着工、1891(明治24)年8月に運転開始、1897(明治30)年に第一期工事が完成した。
4号機発電機(琵琶湖疏水記念館の庭に展示)
運転開始時は120HPのペルトン水車2基と直流発電機2基でスタートしたが、工事完成時には別表のような設備となった。(「琵琶湖疏水記念館」の展示表より引用)
NO. | 製造者 | 出力[kW] | 式 | 電圧[V] | 周波数[Hz] | 適用 | 据付年 |
1 | トムソン | 70 | 単相 | 1000 | 125 | 電灯 | 明治25年9月 |
2 | エヂソン | 80 | 直流 | 500 | 電力 | 明治23年12月 | |
3 | エヂソン | 80 | 直流 | 500 | 電力 | 明治23年12月 | |
4 | スタンレー | 60 | 二相 | 2000 | 133 | 電灯電力 | 明治27年8月 |
5 | G.E. | 100 | 直流 | 500 | 電鉄 | 明治27年5月 | |
6 | G.E. | 100 | 直流 | 500 | 電鉄 | 明治28年4月 | |
7 | トムソン | 60 | 単相 | 2000 | 125 | 電灯 | 明治26年6月 |
8 | G.E. | 150 | 三相 | 2000 | 60 | 紡績 | 明治29年12月 |
9 | G.E. | 75 | 直流 | 500 | 電力 | 明治28年6月 | |
10 | シーメンス | 80 | 三相 | 2000 | 50 | 紡績 | 明治29年6月 |
11 | G.E. | 100 | 直流 | 500 | 絹紡績 | 明治29年6月 | |
12 | スタンレー | 80 | 二相 | 2000 | 133 | 電灯 | 明治28年4月 |
13 | G.E. | 250 | 三相 | 2000 | 60 | 電灯電力 | 明治23年6月 |
14 | シーメンス | 80 | 三相 | 2000 | 50 | 電力 | 明治28年9月 |
15 | ウエスティングハウス | 100 | 直流 | 500 | 製氷 | 明治24年3月 | |
16 | シーメンス | 80 | 三相 | 2000 | 50 | 大津 電灯・電力 | 明治29年4月 |
17 | G.E. | 80 | 三相 | 2000 | 60 | 織物 | 明治29年6月 |
18 | シーメンス | 80 | 三相 | 2000 | 50 | 煙草製造 | 明治29年12月 |
19 | スタンレー | 80 | 二相 | 2000 | 133 | 電灯・電力 | 明治29年6月 |
【第二期蹴上発電所】
送電用の出力の穴が見える
「亮天功」の石額
建物の横を通る水圧鉄管
第二疏水の水を利用した第二期蹴上発電所工事は1910(明治43)年3月に着工され、1912(明治45)年2月に完成した。使用された設備は以下の通り。水車は、エッシャ・ウイス社製横軸フランシス水車、1700HP、回転数450rpmが5台、発電機は、米国ゼネラル・エレクトリック社製三相交流発電機、出力1200kVA、電圧6600V、周波数60Hzが5台、励磁機は米国ゼネラル・エレクトリック社製直流複巻発電機、出力12.5kW、電圧125Vであった。
第一期発電所は、第二期発電所の稼働を受けて廃止され建物も撤去された。外観は当時のままだが、内部は戦後一時期京都大学が移管を受け、放射線研究施設として使用していたので、大きく改変されている。
2018年3月より蹴上発電所の見学事業が開始された。第3期発電所内部、第2期発電所外観等の見学ができる。予約が必要である。
詳しくは、「蹴上発電所見学会」のページを参照。
【第三期蹴上発電所】
建物と排水口 発電機
蹴上発電所の第3期工事は1932年(昭和7年)6月より1936年(昭和11年)1月まで行われ、出力合計5700kWの発電所となった。
水車は日立製縦軸フランシス水車2台(10500馬力、回転数257rpm)、発電機は日立製三相交流発電機2台(出力7500kVA、電圧6600V、周波数60Hz)。現在も現役である。
水力発電事業発祥の地の記念碑とIEEEのマイルストン
蹴上発電所入口には「水力発電事業発祥之地」の記念碑が建つ。その横にはアメリカのIEEE(電気・電子技術者協会)が2016年9月にマイルストーンに認定した銘板がある。記念碑の横には、その理由が次のように記されている。
この地は、わが国最初の電気事業用水力発電所が建設されたところです 琵琶湖から水をみちびき、これを舟運、灌漑および水力に利用しようとする琵琶湖疏水は、当時の京都府知事北垣国道市により計画され、明治23年(1890年)竣工しました。この疏水の設計者田辺朔郎博士と、京都京都市疏水常務委員高木文平氏が、アメリカの利水施設を実地調査した結果、発電所を併設することが得策であることが提案されました。そこで明治23年(1890年)1月に建設工事がはじめられ、翌年の明治24年(1891年)5月には、早くもエヂソン式80キロワット直流発電機2台で発電を開始する運びになりました。これはアメリカで最初に水力発電所が建設されてから僅か2年後のことです。 それ以後順次発電機を増設し、明治30年(1897年)5月には、大小とりまぜ19台の発電機(発電出力1,760キロワットの第1期工事の完成をみました。その位置はこの記念碑のすぐ後方、放水池のところでした。その後2回にわたって拡張工事が進められ、昭和11年(1936年)1月には現在の位置に出力5,700キロワットの第3期発電所が完成しました。このように蹴上発電所はその生いたちと規模およびわが国の電気事業の歴史のうえで、画期的な工事であり、また都心にある水力発電所として、世界でも珍らしいものです。この発電所の建設によって、京都の産業と文化は、大きく発展しました。 ここに先覚者の優れた着想と努力を讃え、あわせて由緒ある地を永久に記念するため、この碑を建立しました。 昭和37年(1962年)12月 関西電力株式会社 (以下、英文があるが略) |
◆場所:京都市左京区粟田口鳥居町2 ◆交通:京都市営地下鉄東西線「蹴上駅」下車徒歩3分
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