技術職業教育冬季研究集会が、2月9日(日)、同志社中学校を会場に開催されました。今回は、10年目という節目の年の研究集会で、仲間の輪が一層広がり、これからの活動の充実を予感させる集会でした。
今回は、午前中に「中教審答申と教育の情報化」と題して、荻野(工業高校)が問題提起を行い、教育の情報化や「情報基礎」などについて論議や交流を行いました。午後からは「LOGOによる機械制御」と題して、丸山先生(中学校)に実技指導をしていただきました。
概要および参加者からのアンケート結果について以下に掲載します。
中教審答申と教育の情報化
@はじめに
教育へのコンピュータの導入は、文部省調査によれば小学校85%、中学校99%、高校100%の導入率である。しかし、導入平均台数は、小学校約7台、中学校24台、高校62台である。1994年度からの新整備計画が完了する1999には小学校22台、中学校42台になる予定である。
A第15期中教審答申の「情報化と教育」を読む
ここでのキーワードは「高度情報通信社会」である。従来の「高度情報社会」が世界的規模での情報通信ネットワークの発達によって変更された。答申は、情報量の増大により、子どもたちが情報リテラシー(情報活用能力)を身につけなければならないとする。そのために答申は、@子どもたちに必要な教育、A教育でのコンピュータや情報通信ネットワークの活かし方という2つのポイントをあげ、4つの留意点をあげている。すなわち、(a)「高度情報通信社会における情報リテラシー」の基礎的な資質や能力の育成、(b)情報通信ネットワークの活用による学校教育の質的改善・充実、(c)高度情報通信社会に対応する「新しい学校」の構築、(d)情報化の「影」の部分の克服と調和のとれた人間の育成、情報モラルの育成。
B中教審のねらいと問題点
中教審のねらいは4つあると思われる。@コンピュータ市場の拡大と情報化社会を推進する人材の育成、Aコンピュータを使った「個性重視」のための個別学習の強化、B全国の学校にあるコンピュータのネットワーク化と管理強化、C学校のインテリジェント化による地域の「情報拠点」化。
従来の経緯をみると、まずコンピュータの導入があり、それからどう使うのかという職場の論議があった。本末転倒である。
また、答申を良く読むと「情報教育」は「コンピュータを使った教育」とイコールではないことがわかる。しかし全体としては、イコールであるかのような書き方で、私たちを煙にまこうとしているので、我々は厳密に区別しなければならない。「情報リテラシー」というのも、一般には(a)正しい情報モラル、(b)情報の中から必要なものを選択し、判断し、整理し、処理する能力または情報を生産し、発信する能力、(c)情報手段の特徴の理解と基本的な操作方法の獲得、といわれているが、これだけを見たら、コンピュータを使った学習をしなければならないという結論は出てこない。むしろ、基礎的な学力をしっかりと身につけることの重要さが浮かび上がってくる。
システムが古くなり、このままでは多くの学校は中教審のいうインターネットに対応することはできない。それどころか、小学校でWINDOWS
に親しんだ子どもたちに、中学校にきて「先生マウスがないよ」と質問されたそうだ。半年でモデルチェンジするといわれるパソコンを買い取りで整備したことによる「悲劇」である。年数がたち、壊れたり、修理が必要なパソコンが続出している学校も多いと聞く。インターネットよりも何よりも、こうした事態の打開がまず必要なのではないか。
95年度より教員研修が強化され、学校の実情を無視した研修計画がまかりとおっているようだ。研修は自主的に行ってこそ、力になる。教員がコンピュータというのは便利だから勉強しようと思わせることや、思ったときにすぐに学べる体制を作ることこそが大切なのではないか。
B私たちの課題
まず、コンピュータは「道具」として使うことが基本だ。そうすると、どんな道具をいつ、どこで使うかということは個人の選択に属する問題であり、上から「使え、使え」とはっぱをかけられる理由はなくなる。
次に、職場の中で、コンピュータを教育に利用する原則を討議し、確立することが大事である。ということは、コンピュータのことを知らないと論議ができないので、やはりコンピュータの勉強をしよう、使ってみようということになる。コンピュータはまだまだ未発達な機械であるから、新しい発想による新しい使い方はまだまだ可能であるはずだ。
同時に、利用にあたってはいくつかのモラルが確立される必要がある。(a)データの取扱い方、取り扱うことができる人の範囲など、(b)ソフトウェアの著作権問題、(c)健康の問題(特にVDT作業については労働省のガイドラインの研究も必要)、またはコミュニケーションが取りづらくなることなど人格的歪みの問題、など。
討論の要旨
中学校では22台の設備が基本のようですが、高校の施設と兼用という中学では56台という状況もありました。中学校の「情報基礎」領域の指導内容については、ワープロや表計算あたりは共通して実施されているようで、その他にグラフィックソフトやプログラミング言語、オートマ君によるパソコン制御などを実施しているようです。プログラミング言語は、BASICやLOGOです。
マウスの玉がなくなるなどのいたずらは中学でも高校でもあるようです。システムが古くなってきて、壊れる機械も出てきてい学校もあります。
ここ数年の生徒の変化を見ていると、確実に家にパソコンがある生徒が増えているようです。しかし、コンピュータというものがどういうものかという原理的なことについてはわからずに使用しているようです。このあたりの内容を授業の中でどのように押さえていくかが問われていると思われます。
パソコンの導入によって確かに便利にはなったが、教員が忙しくなったと感じるという声がありました。商業高校からは、コンピュータの進歩に教員がついていけず、特定の教員に負担が集中しているという実情も出されました。
@LOGOに慣れる
ここではLOGOWRITERというソフトを使って、まずLOGOという言語に慣れることからはじまりました。四角形を描くには、
まえへ 100 みぎへ 90
まえへ 100 みぎへ 90
まえへ 100 みぎへ 90
まえへ 100
「まえへ」というのは直線を描く命令で、後ろの数字は長さをあらわします。
「みぎへ」というのは向きを右に変えることで、数字は角度をあらわします。
たいへんわかりやすい命令です。
同じ命令がいくつもあるので、これをまとめることにします。
くりかえせ 4 〔まえへ 100 みぎへ 90〕
これで同じように四角形を描くことができます。
こうした命令のまとまり(BASIC
などではサブルーチンという)をひとつの手続きとして定義しておくと、それを引用した複雑なプログラムを作ることができます。例えば、
てじゅんは しかく
くりかえせ 4 〔まえへ 100 みぎへ 90〕
おわり
これを引用して、
くりかえせ 90 〔しかく みぎへ 4〕
とすると、ダイヤモンドのような模様を描くことができます。
LOGOの練習では、最後にロボットを動かすというプログラムを作って終わりとなりました。
次に機械制御の勉強です。まず、LEDを思うように点灯させることからはじまりました。LEDのON/OFFの状態をプログラムのデータに書き写します。丸山先生からは、生徒が作成した複雑な動きをするLED点滅プログラムの紹介もありました。
このあと、オート三輪車を動かすプログラムの作成にはいりました。まず、どういうデータを入れると、モーターが動くのかを調べます。左右のモーター、あるいは前進か後退かを一つ一つデーターを入れて調べていきました。これができたら、車庫入れプログラムの作成です。車が前進して、バックで車庫に入るというプログラムを作らなくてはなりません。ポイントはどのくらいの時間、モーターを回転させておくかということですが、いろいろ数値を入れて、実験しながら、確定しなければなりませんでした。気がついたら4時になっていました。
アンケートの結果から
◎「中教審と教育の情報化」について
・中教審の情報化について、マルチメディア化へ進んでいるような感じがしました。
現場とのギャップを感じさせられる。一方、中教審と技術科のことも心配しています。
・中教審の内容を知るよい機会になりました。
・ほとんど何も知らなかったので、どういうことか問題点等もわかり大変参考になった。
・職場ではほとんど話題になっておらず、内容を検討しないといけない時期なのに、忘れられています。
・知らない間にパソコンが普及し、それに対する授業内容がついていけない面があります。
・整理されていて、わかりやすかった。
◎「LOGOによる機械制御」について
・本校では「制御」はやっていないのでたいへん勉強になった。
・以前にもサークルで発表され見たことはあったが、本日は体験できてよかった。
・LOGOは興味深いテーマです。昨年高2で少しだけ取り組みましたが、高校生でも興味をもってくれました。
・はじめて操作しましたが、なかなか面白い言語だと思います。
・LOGOの部分の説明が興味深く、展開の仕方も、生徒が喜びそうなものだった。
制御のほうは、もう少しハード面と関連づけた説明が必要なように感じた。
・現在あるパソコン教室をそのまま使用できるので、やりやすい教材であると思った。
◎技術科の「情報基礎」(高校の場合は「情報技術基礎」)は、どのような内容を実践しておられますか。
・ワープロ、図形処理、表計算、プログラム(LOGO)
・中学ではハイパーキューブ(WIN版)を使って、ワープロ、表計算、データベースなどを簡単に。
高校では家庭科の時間に「家庭情報処理」ということで「一太郎5WIN」で学習。
・オートマ君、一太郎ダッシュ、アシストカルク(表計算)、N88BASIC等を使って行っている。
・ワープロ(一太郎jump)、グラフィック(KID’s)
◎今回の内容や運営について、
・内容によって参加者が左右されると思っています。どんな内容を期待しているか考えて、テーマを設定することが必要と思いました。
・たいへん勉強になりました。次回も是非案内をください。
・いろいろな点で心遣いをしていただいてありがとうございました。会場をお貸しいただいた同志社中学校および先生方ありがとうございました。
・今後、こういう機会があれば万障繰り合わせて参加しますのでご一報下さい。
・いろいろな学校で開催してもらえると学校見学もできて楽しみになりますが。
・特にありません。機会があればまた参加したいです。
◎今後企画してほしいテーマや内容、
・次回は、何か時間をかけて製作したらと思っています。
・情報教育関連(インターネットやパソコン通信の教育利用。画像や音声などを利用したマルチメディア教材について)
・機械学習に関する研究も出来たらいいなと思います。
・以前、少し話を聞いた「パン焼き」のことなど。
・技術教育、職業教育はこれから何を教えていくべきか?
投 稿 21世紀に向けて商業教育に問われているもの
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M生
●はじめに
現在、商業高校は存続の危機に直面している。実際に募集停止になる学校もあり、また特定の学科が募集停止になったりしている。
私の勤務している京都市立西京商業高等学校では、これらの問題について、ほとんど危機感がなく、教職員間でもあまり話題にのぼらないが、実際には深刻な問題として考えていかなければならない問題であると思う。
●西京商業高校の概要
京都市立西京商業高等学校は京都の西の端に位置し、京都市立高校では唯一の単独商業高等学校である。現在本校は4学科に分かれ、それぞれの専門性の高い学習をしている。経理科、流通経済科、国際経済科、そして情報処理科である。カリキュラム改訂以降は、情報処理科でもコース制を導入している。情報処理科を情報処理の中でもOA事務を専門に学ぶOAコースと、プログラミングを専門に学ぶプログラミングコースに細分化し、より専門性の高い内容が修得できるようなカリキュラムの編成を行っている。プログラミングコースは、コンピュータのプログラミングを中心とする知識と技術を習得させることを目標としている。OAビジネスコースは、コンピュータをはじめとする情報処理に関する分野についての知識と技術を習得させることを目標としている。
いづれも、実社会で即戦力となる人材を養成することを謳っているが、実際に西京の情報処理科で身に付けた技量を活かした職種についている卒業生は殆どいない。その為か、生徒は、高校生活の目的を見失って、基本的生活習慣の乱れがより深刻化し、暴力事件などの問題行動と共に何に対しても意欲を持たない「疲れた生徒」が増加している。
●情報処理科の生徒
学科制度をしいてからは、目的意識を持って本校に入学してくる生徒が多くなり、情報処理科に入学してくる生徒の入試作文には、招来プログラマーとしての職種につくことを希望している旨が書かれていることが多い。実際に1年入学者の多くは、ゲーム関係のプログラマーを志して、西京に入学したと目を輝かせて語ってくれる。
しかし、卒業後、プログラマーの職につく生徒は、数年に一人いるかいないかである。本校のプログラミングの授業内容も、全国商業高等学校協会の検定に拘束され、実務にほとんど無関係の内容を、暗記させているにすぎない。入学者の多くは、1年生の後半に、自分の進路と実際のギャップに絶望しているように思われる。
悲しい話ではあるが、本校の情報処理科に来たことを後悔して卒業してゆく生徒も、少なくないと感じられる。
●従来のプログラミング教育の問題点
全国の商業高校では、主にプログラミングが情報処理教育の中心として位置付けられている。本校でも3年前までCOBOLでプログラムを組む授業が罷り通っていた。一年終了時に、全商検定試験で90%以上の合格者を出しても、大半の生徒は自力でプログラムを組むことが出来ない状況である。最初は生徒の学力が低いからか、COBOL言語の概念が陳腐であるからかと思われたが、そればかりに原因があるのではない。入学生徒の学力は府立の高校と比較しても遜色はなく、C言語やアプリケーションソフトを利用しても、幾分の改善は見られたものの抜本的な問題は変わらなかった。
本来、プログラミングという作業は創造的なものであり、40人のクラスなら40通りのプログラムが出来て当たり前のはずである。ところが、授業の中で作られたプログラムは、教師の回答例をそのままキー入力したものがほとんどである。間違うことを恐れるばかりか、他者と異なる回答をすることを恐れている生徒が多いようである。国語などで課せられる読書感想文などもサンプルの文章がないと書けないし、絵画やイラストを描くにあたってもサンプルがないと描けない生徒が多いという驚くべき状況もある。生徒自身が自分自身で考えようとしない、生徒が興味・関心を持たないことであるが、そこには授業の展開にも問題がある。
検定試験により画一化された実習課題にも問題があると思われる。プログラムの一部分が抜けており、そこに適切な命令を記述するというこれらの課題には解法が一つしかない。自分自身の頭で考えるよりも、模範解答を暗記した方が早いし確実である。前もって提示した解法を憶えていた生徒は解答できるが、それ以外のものは解答できないことになる。プログラミングは稗田阿礼を養成するために暗記力を養う講座ではない。生徒の自己表現を保証するという教育の基本が無視されているばかりか、複数の解法を導出し、よりよい解法を模索して、生徒が相互に学習してゆくこともなく、価値観の多様化した現代に対応できるわけがない。
●おわりに
工業には「高専」という学校制度がある。産業界に逸材を輩出し、工業の基盤を支え、エキスパートを目指す生徒の志願者も多いと聞く。
かつては、商業にも高専というものがあった。商学系の大学、専門学校が増加する中で、淘汰されてしまったようである。
戦前には、剣道や柔道の高専もあったが終戦時に解体されている。柔剣道の高専が消滅したのは政策によるものであるが、商業高専がなくなったのはいわゆる自然消滅のように思われる。このままでは、商業高校も総合学科や単位制高校に様変わりし、商業高専と同様な末路をたどるであろう。
100%の就職率という神話も崩れさった今、検定試験にのみ頼って授業を行ってゆくには限界がある。生徒の興味関心を引きつけ、実社会においても有効な知識や技法を修得させる方法を模索し、一日も早く実践しなければならないと思うが、効果的な手段が見いだせないのが現状である。
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